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グレート・ザ・KANSUKE

 

戦国戦士
グレート・ザ・KANSUKE

本名 不明
出身地 富士宮市山本付近
好きな本 「風林火山」
必殺技 「戦略ボンバー」及び「戦わずして勝つ軍略」、
「川中島1561」、「キツツキ戦法」

 

 

戦国戦士 グレート・ザ・KANSUKE列伝

 甲斐武田の名軍師として活躍し、永禄4(1561)年、川中島の合戦で戦死したとされる山本勘助。しかし、その魂は生まれ故郷の富士宮に戻っていた!
 その後何百年もの時が過ぎ・・・現代に生まれ変った勘助は「証券業界の名軍師」言われるほどの敏腕証券マンとして活躍。日本経済をのリーダとして期待されていた。しかし、勝者が正義、と言わんばかりの現代の風潮と、前世の戦国の世の風潮の記憶とだぶって見えてしまい、その日々に嫌気がさしはじめていた。
 「本当の私の使命は、もっと別なところにあるのではなかろうか。」そう感じた勘助は自分を見つめなおそうと退職を決意。寒風の中、高層のオフィスを後にした。

 「さて、と・・・何をするにしても、まずは、何があっても動じない強い体と心を得るべし」と、趣味だった格闘技を極めようと、一人世界へと修行の旅に出たのだった。勘助は各国で異種様々な格闘技を習得し、めざましい成績を上げていった。前世の魂の影響か、センスは抜群だった。
 その中で彼はアメリカでプロレスに出会う。「むぅ、これは・・・!」数ある格闘技の中でも、プロレスに何か言いしれぬ手応えを感じ、のめり込んでいった。やがてリングで『グレート・ザ・KANSUKE』と名乗り活躍。しかし、アメリカプロレスの王者戦を目前に控えるも、右目と足の傷が悪化し、悔しい思いを引きずりながら療養の為日本に帰らざるを得なくなった。

 故郷の富士宮からも程近い山梨の温泉旅館「武田館」で湯治で療養する日々。ある日旅館の人手が足りなくなった時、「素人の思いつきで恐縮ですが、こうすればこの人数でも効率よく業務ができるのでは」と女将に進言し解決したのをきっかけに気に入られ、療養しながらそのまま働くことになった。器量良くまじめに働く勘助は、旅館はもちろん地元づきあいも大切にする人柄が評判を呼び、やがて支配人にまでなった。

 そして数年がたった。

 すっかり人気旅館となった武田館は、年中満員御礼の大盛況であった。勘助自身の傷もすっかり癒えていたが、暖かい仲間と経営に没頭する勘助は、第二の故郷にこのまま骨を埋めるのも悪くはないか、とも思った。しかしその矢先、運命の歯車は違う方向に回り出す。

 2008年12月、忘年会で武田館に訪れた客の中に、異彩を放っている人物が居た。その人こそ、『富士宮プロレス』の石川代表であった。何故か血が騒いだ。
 「格闘家の香りがする・・・」
 石川もまた、「ただの支配人ではない」と、勘助のオーラ、そして鍛え抜かれた体を即座に見抜いた。
 「突然かもしれないが、ぜひ貴方を富士宮プロレスに迎えたい。私たちは地域の為に、大きな壁と戦う為に立ち上がろうとしています。あなたのその卓越した知力と体力、そして勇気が今我らに、そしてこの国の未来に必要なのです・・!」
 「むぅ。有り難き申し出ですが、私は今責任ある立場の身。返事はしばらく待って頂けますか。」
 勘助は何日も悩んだ。来る日も、石川の「未来の為に」の言葉が心を揺り動かした。格闘家として戦った日々も走馬燈のように頭を巡る。しかし、経営者として、いや、もう既に家族のような武田館の女将、仲居達、部下達を導かねばならぬ。人知れず苦悶した。

 ある朝、勘助が出勤すると、机の上に一着のガウンが置いてあった。
 「こ、これは・・・!?」
 「このような日がいつかは来ると思い、仕立て直しておいたのですよ。勘助。貴方は貴方の使命を果たしておいでなさい。」
 「お、女将!?」
 「支配人!行ってきて下さいよ!私たちは大丈夫です。勘助支配人から教わった、真心の接客、誠実一筋の経営理念に忠実に武田館を守り続けていきます!・・・でも、戦いが終わったら帰ってきて下さいね!」
 「副支配人・・・しかしな・・・」
 「勘助おじさん、これも持って行って。私たちも仕立て直しのお手伝いしたんだよ!応援してるから!」
 女将の子ども達が持ってきた木箱のふたをを開けると、そこにはグレート・ザ・KANSUKEのマスクが黄金に光り輝いていた。
 「な、なんとおまえ達まで・・・うむ・・・皆、あいわかった・・・」
 「わぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 歓声が武田館を包んだ。もう勘助に迷いは無かった。
 「未来の元気をつくってくる」
 勘助はそう告げると、一路、魂の故郷駿河の国、富士宮を目指した。

2009年、5月15日、宮プロのリングは大歓声に包まれていた。

 この日の戦いの相手は、現代に頑張っている中小企業戦士『宮耕作』であった。宮耕作にもっと強くなって欲しいKANSUKEと、KANSUKEの技とその魂を習得しようとするいわば、師弟関係のような2人のプライドをかけた1戦となった。

結果:8分32秒 KANSUKEの後ろから組み付き風車のように半回転してのローリングクラッチホールド、風林火山にて勝利!しかしながら、残念ながら惜敗した宮耕作であったが、中小企業で頑張るお父さん、宮耕作にもおしみない拍手と声援が試合終了後も鳴りやまず!この景気を熱く、強く乗り切って欲しい!そんな声援の拍手にもきこえた、感慨深い一戦となった!

 学び、最後まで頑張ることの大切さを、子どもたちに伝えたカンスケと宮耕作。2010年は、なんと、昨日の敵は今日の友、タッグを組んで沼津プロレスとのマッチが組まれた!?

『宮 耕作&グレートザ・KANSUKEvs駿河永悟&エンペラード・アサギリ』
宮プロ師弟コンビが、沼プロエース駿河永悟とアサギリコンビと戦う!
果たして・・宮耕作は、師匠であるKANSUKEに認められるのか??
駿河永悟選手は、ベンチプレス日本チャンピオンになり世界大会へ出場!帰国後初の試合となる・・
沼プロvs宮プロのマッスル対決にも目が離せない!

 

ギャラリー


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